路線の紹介

はじめに

 本題に入る前に、下の路線図をご覧下さい。路線図には、急行停車駅や待避設備のある駅が記されおり、また、それぞれの区間における開業年月日も併せて書いてあります。
このコーナーでは文章を中心に時折写真を交えながら、時代順に追って書いていますので、路線図を念頭に置きながらお読み頂くと多少わかりやすいかと思います。

 なお、私が本格的にカメラを使い始めたのがここ数年ですので、時代と合っていない写真が多数あります。
決してツッコミなどしないようにお願いします(^^;)

都営新宿線路線図

1.1978年12月21日、岩本町〜東大島間開業

 都営新宿線は1968年以降に計画された東京区部を東西に横断する路線で、主な目的としては、「相互乗入れによる多摩・千葉両ニュータウンのアクセス」、「総武・中央線の救済」、「江東地区の鉄道空白地帯解消」、などでした。特に江東区内においては1972年の都電廃止以降は、基幹交通をバスに頼っていたため、都心へのアクセスは錦糸町・亀戸・東陽町などから、すでに混雑の激しかった総武線・営団東西線利用が主流でそれらは限界に達していました。そのため新宿線の建設は、江東地区を中心とした岩本町〜東大島間が最優先され、1978年12月21日に開業しました。
 当初の乗換駅は馬喰横山のみで、浅草線の東日本橋・総武線の馬喰町に接続し、軌間は京王線乗入れの計画から都電と同じ1372mmで、大島には地下車庫(大島検修場)が作られました。

写真は当時の終点だった東大島駅です。ご覧のように川の上に駅があるという、非常に珍しい形態の駅ですが、この川(旧中川)はちょうど江戸川区と江東区の境にもなっているため、区をも跨ぐという、これまた珍しい形態となっています。

江戸川区と江東区に跨る東大島駅
かつて両渡り線があった場所。東大島駅から船堀方を見る

こちらは東大島駅から船堀方向を見たものです。
当時は写真中央部に両渡り線があり(ちょうどバラストが白くなっている部分)、そして8両分の引上線が設けられていました。このことから、電車は降車専用として使っていた2番線で乗客を降ろしたあと、一旦船堀方に引き上げてから折り返していました。

こちらも終点だった岩本町駅です。折り返す必要があったことから中線(現在の2・3番線)を使用していました。

かつての終点、岩本町駅中線

2.1980年3月16日、岩本町〜新宿間開業

 若干工事が遅れていた都心部は約1年3ヶ月後の1980年3月16日、岩本町〜新宿間の7.3qが開通。加えて既に1978年10月に開業していた京王新線への乗入れも同時に開始されました。
 前回の開通区間における乗り換え可能駅は馬喰横山のみでしたが、今回は逆に曙橋を除いて乗り換え可能な駅ばかりと随分対照的です。また、10-000系は東大島から京王新線笹塚までの運転となり(ごく一部は桜上水)、京王線からは6000系が相模原線直通の快速として岩本町まで乗入れて来ました(昼間時20分ヘッド)。そのため、最初の開通区間の岩本町〜東大島間は、都心部に比べて本数が段落ちするダイヤとなっています。

10-000系09F@笹塚

ついに笹塚まで乗り入れてきた10-000系。当時、この駅は特急は通過するもののそれ以外の優等列車は全て停車しおり、また、僅かながら複々線区間ということを活かして、笹塚以西への乗り換えはホーム反対側に渡るだけで済んだことから、比較的便利でした。
写真は笹塚に到着して乗客を降ろしている09F。

 ちょうどこの頃からでしょうか、私もこの路線の1ユーザーとして頻繁ではないにしても、父親に連れられてよく乗るようになりました。ただ、その頃はバスで東大島まで出なければいけないという、まだ少し不便な路線でもありました。

3.1983年12月23日、東大島〜船堀間開業

荒川橋梁

東大島以東は計画策定が若干遅かった区間で、新宿線の延長部にあたります。
目的は「江戸川区中部の鉄道空白地帯への路線整備」、「千葉県営鉄道との直通による千葉ニュータウンアクセス輸送」ですが、後者は千葉ニュータウン自体の計画縮小に伴って工事が凍結されていました。
船堀開業は延長部分最初の開業区間で、たった1駅ながら長大橋梁を持つ特徴的な地上区間となりました。

ところで、当時のこの区間の運転形態はちょっと変わったものでして、1986年の篠崎開業までは日常的に逆線運転が行われていました。
というのも、船堀駅は右写真のように西側が急曲線、東側は延長部地下へのアプローチとなるため急勾配で、折り返し用の引上線や渡り線の設置が困難だったため、東大島の両渡りを引き続き使用し、ダイヤ上はちょうど引上線の列車を延長する形を取っていました。

4.1986年9月14日、船堀〜篠崎間開業

 船堀開業から3年、ようやく江戸川区民にとって、そしてもちろん私にとって待望の篠崎延長が実現しました。路線は船堀から再び地下に潜り、環状7号線沿いの一之江、新中川を越えて瑞江、そして篠崎の3駅が設けられ、特に瑞江には千葉県営からの優等列車の直通に備えて、東急新玉川線桜新町駅と同一形態の通過線が設置できるように作られました。しかし、これは当時は全く使うあてのない設備で、実際に営業列車が走るようになったのは1997年12月の急行設定以降です。

 ちなみに、この時私は小学5年生。一番最初にホームに立った感動は今でも覚えています。

地下区間から出てきた15F@船堀

船堀駅東側から地上へ出てきた10-000系15F。篠崎開業に際しては、10-000系初の8両編成で登場した新造車3編成(3次車)を増強したほか、在来車の8両編成化も一部実施されました。写真は新造車組み込みで8両編成化された15F。
なお、今回の増備車から窓が1段下降式となりました。

今回開業の3駅は最初の開業時から各地下駅に採用されていた駅別カラーに加えて、地下空間にゆとりを与えるために、各駅でシンボル的なイラスト入り壁画やタイルを採用しています。
右写真は瑞江駅のものです。

瑞江駅のイラスト
一之江駅・駅ビルとロータリー

今回の開業区間は地下鉄でありながら、江戸川区中央部の基幹鉄道としての役割を担うため、駅周辺の整備も積極的に進められました。一之江・瑞江駅は開業当初から駅ビルやロータリーなどの設備が整備され(篠崎も後に整備)、地上区間並みの駅設備となりました(左写真は一之江駅)。
なお、駅ビルは東京都交通局系の団体である(株)東京交通会館が運営しています。

 ところで、篠崎開業後は旅客が急増し、特に大島以西では終日混雑が激しくなってきました。この時すでに10-000系の一部(3次車)で8両編成化が実施されていましたが、それだけでは捌ききれなくなり、また、都内としては長めの運転間隔だったこともあって、1987年12月からそれまで岩本町折り返しだった京王6000系を大島まで延長することになりました。これにより大島までは都心とほぼ同様の運転間隔となりました。

5.1989年3月19日、篠崎〜本八幡間開業

 篠崎〜本八幡間の建設は、一部の設備が千葉県内に作られるため(当然東京都所有)、各種調整の遅れがありました。また、本八幡駅の地上部のうち、京成八幡駅寄りの整備が遅れたことなどから、開業時期が3年近くずれこみました。しかも、開業当初は京成八幡駅寄りの工事が遅れていた関係で、1番線のみ使用、それも8両編成までの仮駅として営業を開始しました。
 そんなわけで、この時点では江戸川区における運転本数は、都心に比べてまだ段落ちする状態が続きます。

 ところで、今回の開業区間は2.8qあり、この距離は馬喰横山〜岩本町間の4倍にあたる都営地下鉄最長駅間となっています。1駅くらい作れそうな感じですが、先に書いたような理由から千葉県内に中間駅設置を避けたものと思われます。

10-000系1次車04F@京王稲田堤

なお、本八幡開業目前に、船堀開業時に8両編成化から外れていた01Fから11Fに5次車(中間車のみ22両)を2両ずつ組み込み、新宿線のオール8両編成が達成されました。
写真は5次車組み込みで8連化された1次車の04F。

本八幡駅に停車中の京王6000系です。前述の駅設備整備の関係で京王系統の快速の運転ができず、先に書いたように依然として大島折り返しが続いていましたが、工事が完成した1991年9月から、晴れて6000系も本八幡に顔を出すようになり、朝ラッシュ時には6000系による10両編成も運転されるようになりました。
これによって大島以東で段落ちとなっていた列車本数が改善されました。

京王6000系@本八幡

6.1997年12月23日、急行運転開始

 都営地下鉄では新しい経営プランを制定し、積極的な利用促進を図っていくことになりました。その結果、地下線内でも急行運転を行ってスピードアップすることとなり、まず第1弾として平日昼間に急行を新設。運転間隔は20分で新宿線内のみを走り、京王には乗り入れませんでした。停車駅は市ヶ谷・神保町・馬喰横山・大島・船堀で、所要時間は31分と、従来に比べ10分程度短縮されました。

10-090編成(09F)急行新宿行き@東大島

東大島にて、船堀方から荒川を渡ってきた09F使用の急行新宿行き。急行は途中岩本町と瑞江でそれぞれ1本の各駅停車を追い抜いていますが、これは遊休設備の有効活用という点でも注目されました。

同じく東大島にて、地下の大島方から地上へ出てきた27F。
この編成はこの改正に合わせて新製されたもので、最初から急行運転に対応しており、車体内外のデザインも大幅に変更されています。

10-270編成(27F)各駅停車本八幡行き@東大島

7.1998年12月、開業20周年

 1998年12月に最初の開業区間、岩本町〜東大島間が開業20年を迎えました。その間路線が拡大していく毎に利用客は伸び続け、今では都営地下鉄の稼ぎ頭とも呼べるような路線になりました。
 その一方で、開業当時は画期的な設備を誇った新宿線も、時代の急激な変化に対応するべく、各種改良工事が行われています。(2005年9月現在も続行中)

在来車にも設置された車椅子スペース

25F以降の新造車から採用されていた車内の車椅子スペースですが、当然在来車にも設置されています。

車両に車椅子スペースを設置しただけでは不十分ということで、徐々にではありますが各駅で車椅子対策の設備が登場していて、目立つところでは各駅においてエレベータの設置が進んでいます(写真は市ヶ谷駅のもの)。
都営新宿線は最初の開業時から各駅にエスカレータが設置された画期的な路線でしたが、21世紀をバリアフリーの時代にするためにも、今後の対応が注目されます。

新設されたエレベーター@市ヶ谷
明大前方より笹塚駅に進入する26F急行と、出番を待つ02F。

2001年3月改正において、新宿線内だけを走っていた急行が、京王側の従来の快速橋本行きを急行に格上げする形で、京王線への乗り入れが実現しました。これで両線通しの急行となり、利便性を大幅に向上させています。
(写真は明大前方から笹塚駅に進入する26F使用の急行本八幡行きと、出番を待つ02F)

なお、都営線内の急行については2000年12月12日の大江戸線開業に伴うダイヤ改正により、同線との接続駅となる森下にも停車するようになりました。

8.現在

 時は流れて2003年6月26日、交通局から新型車両・10-300系導入の発表がありました。新宿線にとっては初のフルモデルチェンジ車で、製造は東急車輌が担当。基本設計はJR東日本のE231系や東急5000系などの車両を踏襲し、2004年秋から10-000系2次車までの計108両18編成を新方式となるVVVF制御車に置き換えるという内容でした。(一部の編成を除く)
しかし、新宿線で開業以来使用してきた保安設備(ATC)のままで、VVVF制御車を走らせると誘導障害を起こしてしまうことから、まず新しい保安設備であるデジタルATCを整備。その後2004年夏頃から、今回の置き換え対象になっていない10-000系3次車以降に順次それを取り付けて、夜間に試験走行を行いました。

 そして、2004年11月にVVVF制御車の第一編成が大島検修場に搬入されたわけですが、すぐに営業では使用せずに、正式にデジタルATCが使用されるまでの間、専ら夜間の試験走行に供されました。

VVVF制御車の第一編成が搬入されたことに伴い、まず10-000系試作車(01F)が2004年11月30日を最後に引退。1971年以来走り続けてきた試作車は、34年の歴史にピリオドを打ちました。
(ただし、中間車は暫定処置として後述する10-300Rに組み込まれて使用された)

10-000系試作車ラストラン「新しい仲間と交代します」
10-300Rデビュー
10-300R正規編成31F登場@東大島

そして、それと入れ替わるようにして、2005年1月20日にまず「10-300R」が登場。
この車両は先頭車だけが新車で、中間車6両は10-000系3・5次車(一段窓車)を使用するという混結編成。これは2次車までの編成を廃車にする際に、まだ車齢の若い3・5次車が余剰となってしまうことから、それを活用するためのものでした。

写真は10-300Rのトップナンバー31Fで、しばらくは試作中間ユニットを含んだ暫定編成(写真上)として存在しましたが、2005年8月に改造3・5次車に差し替えられて(下写真)、試作車は完全に消滅しました。

昨年11月に搬入されて以降、ひたすら夜間の試験走行を行ってきたVVVF仕様の10-300系でしたが、2005年5月14日に保安設備がデジタルATCへ移行したのに伴い、日中の本線に姿を現し、数日後には営業運転も開始しました。
(写真はオール新車タイプの38F・京王多摩川駅にて)

なお、この一連の動きは最後まで暫定R形として残っていた36Fが、2006年12月に正規化されたことにより、当初の計画通り置き換えを完了しました。

オール新車の10-300系デビュー
京王の新車9000系30番台車

それから、京王側の車両にも変化がありました。
これまで6000系の乗り入れ仕様(30番台車)のみだったものが、2006年1月から2月にかけて新造された乗り入れ仕様の9000系(30番台車)が同年3月から営業運転を開始し、同時に新宿線への直通運転も開始されました。
この9000系は10両固定編成となっており、登場当初は10連運用が少なかったこともあって、新宿線内ではなかなかお目にかかれない存在でしたが、2006年9月ダイヤ改正で急行が京王車による10連運転が中心となったことから、終日乗り入れるようになりました。

この9000系については今後も増備される計画であり、6000系を徐々に置き換えていくものとみられます。